(5)初子

家を継ぐため理系女子に
妻、4代続く女系家族で育つ

 

愛媛大学に入った直後に出会った橋本初子は徳島市の出身だ。初子の実家は4代続く女系家族だ。祖母の義子さんは米屋の娘で、父が小さな米屋から徳島でも有数の大だなに育てるのを手伝ったという。母の陽子さんは戦後に廃れかけた藍の復興を願い、今も藍染め作家として活躍している。父の昭さんは銀行員。その関係で家族は2年ごとに転勤し、初子は小学校を4校、中学校を2校と転校を繰り返した。

 

前回、同学年の工学部で女性は彼女を含む2人だけだったと書いた通り、当時としては珍しい。理系女子といえば薬学部の学生がほとんどだったと思う。

なぜ工学部を選んだのかと聞いた時に「いずれは私が家を継がないといけないから」と話していたことが印象的だ。お母さんにも、小さい頃から「女でも手に職を付けなさい」と言って聞かせられたという。私はそんなことを考えたこともなかったので、もう単純に「立派な子だな」と感心させられたものだ。

理系志向は小学生時代の出会いの影響が大きかったようだ。家庭教師の影響で算数が好きになり、中学高校と進んでも数学が得意科目。国語は苦手だったがその理由は、数学や物理のように「ちゃんと公式に落とし込める世界が好きだったから」だという。

コンピューターに興味を持つようになったのは私よりも早く、中学生の頃からだという。お父さんが銀行の業務推進本部でオンラインコンピューター導入の責任者だった。初子もマニュアルをもらったりして興味を持ったようだ。

コンピューターの仕事の中でも彼女が選んだのがプログラマーだった。高3の時に読んだ進学雑誌で、理系女子の仕事の例として薬剤師や教師のほかにプログラマーという記述があったのに目が留まったのだという。まだまだこれからの分野だが力仕事がない分、女性も男性と同じように活躍できるようになるだろうと書かれていたのだという。

後に初子と二人で起こしたジャストシステムでも、社員の半分は女性だった。今もそうだがIT(情報技術)エンジニアの実力に男女の差はない。技術陣を彼女が率い、女性にとっても働きやすい職場づくりを心がけたことが「一太郎」の快進撃を支えたのだが、そのあたりの詳細は後の回に譲りたい。

初子や仲間たちとの学生時代はあっという間に過ぎ、私は東芝系の西芝電機という会社に就職することになった。会社があるのは兵庫県姫路市だ。初子は初志貫徹でプログラマーとして東京にある高千穂バロース(現日本ユニシス)に入社することになった。

実は後々になってもちゃんとプロポーズをした記憶がないのだが、この頃になって二人の間では「将来は結婚しようね」と話すようになっていた。

姫路と東京。いわゆる遠距離恋愛だ。携帯電話のような便利なものはなく、新幹線が岡山まで延伸された直後とはいえ、今と比べれば若い二人にとっては、はるかに遠い土地という感覚だった。

初子は学生の頃は女性用のマンションに住んでいたが、東京行きの日は引っ越しの手伝いで忙しくしているうちに出発の時間が来てしまった。国鉄松山駅まで見送りに行き、彼女を乗せた汽車がゆっくりと動き出した。彼女の母も来ていたこともあり、特別な言葉もないままにその時が来てしまった。

しばしの別れである。

 

妻は4代続く女系家族で育った(前列左が初子)