(4)出会い

無線サークルに同級生
電子工学、自分で学ぼうと訪問

 

1浪の末に進学した愛媛大学は松山城のすぐ北側にある。松山は子どもの頃から母に連れられて度々訪れていた。

 

電気工学科に進んだが、関心があったのは音楽や電子機器。それでも「近い分野だからいいか」と願書を出したのだが、実は私が入学した1969年に電子工学科が新設されることになっていたことを知ったのは入学式の日のことだ。

それなら自分で勉強すればいいかな、と気を取り直したところ、アマチュア無線のサークルでは電子工学のことも教えてくれるという話を聞いた。小学生の頃から機械好きだった私にとっては願ったりかなったりだ。早速、土曜に開かれた説明会に行くと、「ロ」の字に並べられた机に15人ほどの同級生が座っていた。その中の1人に嫌でも視線が行く。

「あ、電子工学科の子だ。あの子もアマチュア無線をやるんだ」

工学部の同級生で女子はたったの2人。そのうちの1人が、私が行きそびれた電子工学科にいることは、入学式の時に気づいていた。

その日は一度下宿に帰り、自転車で教科書を買いに行くことにした。まずは古本を探すのが安上がりだろうと大学近くの古書店に行くと、またもやその女性がいた。電気と電子。探す本は同じような書棚に並んでいる。

「さっきアマチュア無線で会いましたよね」

なんの気なしに私の方から声をかけたはずだ。相手も私のことを覚えていた。

「ここにない本は『はるや』に買いに行かない?」

結局、商店街にある「はるや」という本屋に、私は自転車を置いて彼女と歩いて行くことになった。

これが生涯の伴侶である橋本初子との出会いだった。彼女は徳島の出身。土地勘がある私が松山の街を案内するうちに、すぐに打ち解けるようになった。

当時は学生運動が最後の盛り上がりを見せた時期だ。松山にもその熱は伝わり、我々が入学して1カ月ほどで愛媛大もロックアウトされてしまった。ある日、授業にでかけようとすると無造作に並べられた机で門が閉ざされていたのだ。

初子とはすぐに付き合うようになったがいつも8人の仲間と行動をともにしていた。

授業がないのでよく通ったのが大学近くの喫茶店だ。コーヒー一杯で朝から夕方まで粘る。迷惑な客たちを嫌な顔ひとつせず迎えてくれるおおらかさが、当時の学生街には存在していた。店内にはジャズの音色が流れ、ビリー・バンバンの「白いブランコ」もよく聞こえてきた。同じ時代に学生生活を過ごした多くの方々も、似たような記憶をお持ちなのではないだろうか。

大学1年生だった69年7月20日、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功した。ちょうど夏休みでアマチュア無線クラブの有志と石鎚山登山の途中でそのニュースを聞いた。新しい時代が開けるのだろうと、期待に胸が膨らんだことをよく覚えている。

そういえば学園祭では「エロチックかぐや姫」という芝居を披露したことがあった。私が脚本を書き、初子は衣装担当。さて内容は……、ここでは伏せておいたほうがよさそうだ。

4年間はあっという間に過ぎ、初子ともしばしの別れがやってきた。その前に次回は彼女の生い立ちに触れたい。

 

学生時代の筆者(右)と初子