(9)独立

「同じアホなら…」と決断
コンピューターに賭けてみたい

 

あれは1978年の秋のことだ。妻の初子がなにやら電話で話している。相手は徳島市にある実家の祖母・義子さんだった。

 

「さっき、おばあちゃんと話したんやけどね」

受話器を置いた初子が私に話しかけてきた。私はベッドに腰掛けたまま聞いていたのを覚えている。祖母は「そろそろ徳島に帰ってきたらどうか」と言っていたという。以前に紹介した通り、祖母は私と初子の結婚を最後まで反対していた人だった。

それだけならともかく「これからは四国でもコンピューターが使われるようになるから」とも。商家に育った義子さんは鼻の利く人だった。

「そんなに簡単やないのにね」と初子。彼女はオフィスコンピューターの代理店で働いており、営業マンたちが四苦八苦しているのを間近で見ている。初子は何の気なしに祖母との会話を伝えたつもりだったが私には心中、思うところがあった。

「俺、やってみようかな」

「えっ、なんで?」

初子が驚いた表情で問い返してきた。よほど意外だったようだ。私はこんなふうに答えたはずだ。

「おばあちゃんの言うとおり、これからコンピューターが広がるのは間違いない。それに賭けてみたいんや」

実はずっと考えていたことだった。初子の実家がある徳島市の近くには四国を流れる大河・吉野川の河口がある。そのほとりに立って考えたことがある。

「この時代の大きな川の流れとはなんだろうか」

私の答えはコンピューターだった。半導体など技術の進歩はめざましい。これからどんどんコンピューターと縁がなかった人たちの間に広まり、誰もがコンピューターなしには生きていけない時代が始まろうとしている。私はそんな大きな流れのほんの始まりに立っている。

ならば、流れに飛び込むべきじゃないか。泳ぎがうまいか下手かは問題ではない。この流れに飛び込めば、うまくいけば木でも流れてくるだろう。なんとしてでもそこにしがみつくのだ。木にまたがって自分の手で漕(こ)いでやろう。そうすれば時代の流れよりもっと速く進めるじゃないか。そう、俺の人生はこの吉野川みたいなものだ――。

私はそんなふうに考えた。姫路でサラリーマンを続ければいつか後悔するだろう。

また、こんなことも考えた。あれは大学1年の夏休みのことだ。知り合ったばかりの初子の実家に遊びに行くと、地元の大学生に交じって徳島名物の阿波踊りに参加した。頭上で手をはためかせ、音楽に合わせて無心で踊る。ただそれだけだが、なんとも気持ちがいい。阿波踊りといえば有名なのがこの言葉だ。

「踊るあほうに見るあほう、同じアホなら踊らにゃソンソン」

まったくその通りだ。同じアホなら踊らないでか。時代が大きく動こうとしている今、傍観者でいるより勇気を振り絞って流れに飛び込もう。初子は「難しい仕事やで」と諭したが、私は腹を固めた。

年が明けて正月に初子の実家に行くと、地元の銀行の支店長だった義父が地元の経営者たちが集まる新年会に誘ってくれた。そこで皆さんにコンピューターを導入しているか尋ねると、8割ほどが未採用だが関心があるという人が多かった。やはり私の考えは間違っていない。

こうして私は6年勤めた西芝電機を辞めて独立することになった。

阿波踊りに参加する筆者(1990年)