(22)バグ除去合宿

「会社潰れるかも」危機感
地道な改修作業、完了まで半年

「一太郎バージョン4」のバグ(不具合)問題が発覚すると、私は社長室にこもる時間が長くなった。専務の初子によると、私が見るからに落ち込んでいるようだったという。実際のところは落ち込んでいる暇などなく、対応を考えないといけなかった。店頭から回収し、全力を挙げてバグを取り除く作業に没頭し始めた。

 

コンピューターソフトの開発にデバッグ、つまりバグの除去作業はつきものだ。それ以前には、バグをひとつ見つけると社員にビールを1本プレゼントするといった遊び心を取り入れたこともあった。だが、今回は会社の浮沈がかかっている。

デバッグのために合宿しようと提案したのが、福良伴昭君だった。徳島大学歯学部の学生時代にアルバイトとしてジャストシステムで働き始め、一太郎シリーズの開発では中心的な役割を担う社員になっていた。

合宿の場所に選んだのが徳島市からやや離れた場所にある鳴門市の公営施設だった。そこなら自宅に帰る必要もなく24時間体制でデバッグの作業に集中できる。ジャストシステムにはもともと合宿を度々開いて、皆で和気あいあいと開発やアイデア出しをする習慣があったが、この時は危機感が違った。

一同を大部屋に集め、LANケーブルでつないで全員の作業を連動できるようにした。司令塔となったのが開発責任者の福良君だった。

大きなホワイトボードを置いて、バグを書き出していった。作業が進むたびに福良君が自分の席に担当者を呼んで指示を出し、バグをひとつずつ潰していく。

毎日のようにプログラムをアップデートしては、徳島の本社に残るエンジニアたちがそれを試験する。デバッグというのはバグをひとつ発見して修正するとまた別のバグが発生するという、いたちごっこのような作業だ。それを地道に繰り返すしかない。

作業は昼夜を問わない。鳴門の合宿所に集まった者も、本社で試験にあたる者も社員全員が全力を尽くしてくれた。その中でも特筆すべきは、やはり司令塔である福良君の奮闘だった。2週間ほどの合宿を通して、仮眠を取る時間以外は文字通り24時間体制で現場を指揮して根気よくデバッグを進めてくれた。

途中でアップデート版を挟みつつ、とうとうデバッグが完了したのが一太郎バージョン4.3だった。完成したのはバージョン4の発売から半年余りたった1989年11月。4.3を格納したマスターが完成した時の感慨は忘れられない。

そこで終わりではなく、我々はお客さんの信頼を取り戻さなければならない。既存のユーザーには4.3を無料で配布することを決めた。その数は23万人。費用はざっと10億円になる。当時の我々にとっては大きな負担だ。

私は社員たちを集めて、こう話した。

「もしかしたら、これで会社は潰れるかもしれない。それでもやるから」

こうして我々は4.3を世に送り出した。以前のように苦情の電話が鳴り響くことはなかった。全国のストアでの売り上げは日々、集計される。壁に張り出したグラフはすぐに右肩上がりの曲線を描き始めた。我々は危機を脱したのだ。結局、バージョン4シリーズは累計販売63万本の大ベストセラーとなった。

 

鳴門の公営施設に機材を持ち込む社員たち(1989年)