(25)戦略新ソフト
社運賭けて海外雄飛期す
「xfy」高評価も投資重く低迷
ジャストシステムは2004年3月期に株式公開後に初めて経常黒字を計上した。学校など特定の販売先を攻めるセグメント戦略に加え、人員削減の効果が出た格好だ。ただ、我々が置かれた厳しい状況が変わることはなかった。
一太郎はすっかりマイクロソフトのワードにシェアを奪われていたが、我々には次世代への巻き返しに向けた武器があった。それが「xfy(エックスファイ)」だ。
xfyを簡単に説明すれば、顧客企業の中に分散する複数の情報をひとつに集約するソフトウエアだ。議事録や日報、帳簿、ウエブ、販売管理システムなど多岐にわたる情報を「XML」というプログラミング言語で一元管理していく。
実はこれは10年がかりの構想だった。仕掛け人は技術陣を束ねる専務の初子だった。元をたどれば初子が考案した「ダイナミック・ドキュメント・ワーク」にたどり着く。一太郎で作成する文書だけでなく様々なドキュメントを一元管理しようというアイデアだ。
これを形にしたのが1999年にリリースした「一太郎Ark(アーク)」だった。当時から国際規格のXMLに対応させたものだったが、初子に言わせれば完成度はいまいちだったという。社内情報の一元管理ソフトというよりは、まだまだ文章作成ソフトの域を出なかった。
これを粘り強く進化させたのがxfyだった。複数のXML文書から必要な情報を取り出してパソコンの画面上に並べて加工することができる。簡単に言えば、社内で飛び交う様々な情報をXMLというひとつの軸でくくり、クライアントが望む用途に応じて使い分けることができるというソフトだった。
2005年にベーシック版を出し、翌年には本格投入した。社運を賭けたソフトである。XMLは欧州を中心にどのような使われ方がなされるのか議論が盛り上がり、米国でIBMやオラクルがデータベースに採用した。xfyも注目を浴びるようになった。
国内での成功にとどまっていたこれまでの事業とは違い、xfyでは海外に打って出る必要がある。そこで我々は米国と英国に営業拠点を立ち上げて最初から世界で市場を取りに行くつもりで攻めに出た。もはやジャストシステムは「一太郎の会社」ではないということだ。
ただ、結論から言えば、xfyは一部のコンピューターに詳しい方々からは高い評価をいただいたが、我々の思いとは裏腹に事業を成長させることはできなかった。
xfyは新しい世界への挑戦だったが、一言で言えば時期尚早だったのだ。当時のパソコンの性能ではその力を生かし切れず、我々もxfyを使う利点を十分に示せなかった。もっと時間が必要だった。海外拠点に投資しすぎたことも敗因だった。
この間も、米マイクロソフトはワードやエクセルを抱えるオフィスで市場支配を固めていった。残念ながらジャストシステムの業績は低迷を続けていた。我々に残された選択肢は狭まりつつあることを実感せざるを得ない。
この後、私と初子は大きな決断を迫られることになる。初子の実家の応接間でたった二人で立ち上げたジャストシステム。一太郎を生み出し、私たちは日本人の知的生産性の向上に貢献してきた。だが、我々の人生そのものといっても過言ではなかった会社を去ることになったのだ。