(28)手書きアプリ
高齢の母「これなら使える」 iPadに感動して集中開発
初子やジャストシステムから引き連れた研究者たちとMetaMoJi(メタモジ)を立ち上げた当初、開発を進めていたのが動画配信アプリだった。投稿時間は20秒まで。現在のTikTok(ティックトック)とよく似ている。「ViviDrama(ビビドラマ)」と名付け、社員がサンプル動画を投稿するレベルまで開発が進んでいた。
だが、創業翌年の2010年6月に開いた開発会議で、私はビビドラマの開発をストップした。この年の初めに画期的な商品が誕生していたからだ。米アップルが開発したタブレット「iPad」だ。スティーブ・ジョブズ氏によるプレゼンの映像を見た時も驚いたが、やはり実物に触れた時の感動は忘れられない。
日本で発売される前に、昔からお世話になっていた弁理士の先生がハワイまで行って買ったというiPadを見せてくれた。その時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。「その手があったか」と。
iPadを手に取ると、それまでのパソコンが急に不便なものに思えてきた。iPadなら机に縛られずに、いつでもどこでも使うことができる。画面が小さくまだまだきめ細かな作業には向かないスマホとは似て非なるもの。思えば長年にわたってコンピューターの進歩とともに歩んできたが、これこそが次の革新だと実感したのだ。
ならば、我々には何ができるだろうか。このマシンを使って誰もが簡単に文章を書けるようにしたいと、真っ先に考えた。かつて「一太郎」を作ったように、手書きでスラスラと文章を書けるようなアプリを作ろうと決めたのだ。
そのためには開発半ばの動画配信アプリは捨てることになる。だが、実は私の考えだけでなくエンジニア陣の方が「社長、これはかなりのツールになりますよ」とiPad向けアプリに集中する案を私にぶつけてくれた。ジャストシステムで腕を鍛えたエンジニアたちと進む方向が一致していたことは、私にとって心強いことだった。
私は書き味には徹底してこだわった。手書きに使うペンは速度や加速度、継続時間、筆圧に対する曲がり具合、太さなどをパラメータ化した開発ツールを作ってもらって、私自身がチューニングしていった。文字認識技術は東京農工大学の中川正樹教授から提供を受けて共同開発した。
こうして生まれたのが手書きシステムの「マゼック」だ。漢字やひらがな、カタカナを自在に混ぜて入力できるのでこの名前にした。重要なのがタッチパネルを指などでなぞった時の反応速度だ。コンマ何秒の応答が求められる。技術陣には「俺が納得できるレベルじゃないとダメだ」と念を押したが、試行錯誤をへて見事に実現してくれた。
「7notes」という名前でリリースしてみると反響は大きく、アップルのアプリランキングで1位となった。何よりうれしかったのが、当時86歳だった母の言葉だ。
「これなら使える」。
母が口にした言葉をそのまま7notesのキャッチフレーズにした。
母は市役所で管理職として勤務していた。色々な表彰状を書くのも仕事らしく、日曜日には紙の束を自宅に持ち帰って手書きしていた。そんなこともあって手で文字を書く大切さが身に染みていたのだろう。キーボード操作の一太郎はまったく使わなかった母が、すんなり受け入れてくれたのだった。
こうして私と初子の新たな船出は軌道に乗った。